Saturday, February 4, 2017

中学から英語を学ぶ意味

12歳でアメリカに移住した。

学校に行っても英語はまるでわからない。

ある日突然難聴になってさらに声が出なくなった気分。 
言われている事も分からなければ言いたいことも言えない。
授業だってまともに受けれない。

だから私みたいな子たちを集めて英語を習うためにESLっていうクラスがあるのよ。
英語を第2ヶ国語として教えますってクラス 
English As a Second Language の略ね。
私が住んでたニュージャージー州は比較的白人社会だった
けどそれでも少しずつ移民が増えてきてたわね。

そのESLで一緒に学んだ仲間たちも各国色々。
タイから来たちょっと派手なお姉さん。
インドから来たそっくりな双子。毎日サリー着てた。
イラクから来た年下のおとなしいアジータ
そして台湾から来た同い年のティファニー
偶然女子ばっかりだからみんな仲良し。
日本しか知らなかった私には英語以外に学ぶことがいっぱいあったのよ。

タイとインドはもともと英語を話すから3人ともかなりの上級者。
だけどアクセントが強すぎて何言ってんだかわかんない。
インドの二人は stop がどうしても eStop になっちゃうのよ。
ストップ じゃなくて ぇストップ! 
だからESLにとりあえず入って発音を中心に勉強してた。

アジータはイラクから逃げるようにアメリカに来たんだと思う。
とっても変わった子だった。 
授業中にいきなり奇声をあげたり、
意味もなくケラケラ笑い続けていたり、
言ってることがどうも半分くらい嘘。
今から思い出せば PTSD とかそんなんだったと思うんだけど、
子供の私には80年代当時の世界状況がいまいちわかってなかった。
そのうちに現地の英語の子たちからイジメられて消えるようにいなくなった。


台湾のティファニーとは漢字で話した。 
紙いっぱいに書いて「お話」した。
台湾の子は日本の芸能界に詳しいって初めて知った。
日本の子はほとんど台湾のことは知らないのに。 
台湾と中国は違うって初めて知った。
台湾の漢字は日本語と一緒でまぁ違うのもあるんだけど
基本的に一緒で意味も一緒。
芸能界と、お菓子と、ファッションと漫画の話題で盛り上がった。
そして懐かしいふるさとを思い出して一緒に寂しくなったりした。
二人とも12歳の女の子で考えてることは大体同じなのよね。


違うところは目立つけど、
見えてないだけで同じところだって実はいっぱいあったんだよ。

この頃の記憶はほとんど目で見た事。 
先生の言ってる事も分からなかったからかなりは推理してこんな感じかなぁって思ってた。
もっと幼少でアメリカにいたら経験しなかったであろう感情よね。
全く会話のできない世界に放り込まれた不安と疎外感って文章では書き表せれない恐怖だけど
それがあったから空気だいぶ読めるようになったと思うんだ。
それと同時に自分で推理したことは必ずしも正解ではないってのも知ってる。
心の中までは読めないものね。
やっぱり一つの言語が成立してから新たにもう一つ学ぶってのは大事かもしれない。
同時進行で学んでいる娘には「通じない恐怖」がわからない。

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